難波宮〜飛鳥・大道B

丹治〜臥竜橋

旧街道に入ると道標や常夜燈があちこちにあります。
古墳や神社などもあります。往時を偲びながら走ります。

丹治→伊勢橋→野中寺→白鳥陵→古市→白鳥神社→蓑の辻→臥竜橋



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丹治はやプラザです。
(コミュニティーセンター)
「官道第一号竹之内街道」
の看板があります。
伊勢橋です。
お伊勢参りと関係があるのでしょうか。
親柱も保存されています。
伊勢橋の近くにある道標です。
なかなか立派な道標です。
民家の敷地内にあるようですが、
失礼して見学させていただきました。
今日の昼食は伊賀食堂。 カフェテリア方式です。
木製の大きな常夜燈です。
北へ100mほどに野中寺があります。
解説の石版もあります。
野中寺(やちゅうじ)です。
少しコースから外れました。
野中寺は、八尾の勝軍寺「下の太子」
太子町の叡福寺「上の太子」とともに、
「中の太子」と呼ばれ、
聖徳太子の造立です。
元のコースに戻って、100mほど
進むと常夜燈と道標があります。
「右 大坂 左 さかい」
「右 はせ」と書かれています。
対角にはお地蔵さんがあります。
お地蔵さんにも
「右ハはせみち 左ハならみち」
と書かれています。右が旧道でしょう。
これが白鳥陵(はくちょうりょう)古墳。
景行天皇の皇子「日本武尊(ヤマト
タケルノミコト)」の陵墓らしいです。
また、日本武尊が遠征の帰途、
伊勢で息を引き取ったが白鳥に
姿を変えて古市に飛来した。
その後、羽を曳くように飛び去った
ので「羽曳野」の地名になった。
白鳥伝説です。
古墳の周りの堀にはたくさんの
水鳥がいました。
かつては水鳥に混じって白鳥も
いたのでしょうか?
白鳥(しらとり)神社です。
古市の駅のすぐ近くにあります。
祭神は日本武尊と
素戔鳴命(スサノオノミコト)です。
竹内街道と東高野街道が交差します、
古市の蓑の辻の道標です。
交通の要衝だったのでしょう、
かなり立派な道標です。
左 大和路 上の太子たゑま
つぼ坂 大峰山
すぐ 高野山 金剛山
看板が邪魔している面には
右 大坂 すぐ さかい
とあるようです。
蓑の辻の道標のあるところの建物、
商工会館は解体されるようです。
明治42年富田林銀行として建設。
野村銀行→大和銀行→
羽曳野市商工会館と変遷。
明治時代の建物です。
何とか残せないのだろうか・・・
公園の一角に陶板がありました。
江戸時代の様子です。
臥竜橋を渡ったところの道標。
川向の道標です。
右 右日本最初大黒天道是より五丁
右 法華寺是より七十丁
解説版もあります。

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