戦国天下取りマラニックB

島津義弘陣跡〜本多忠勝陣跡

コースアウトして、陣跡を見て回ります。
小早川秀秋の松尾山にも登ります。

島津義弘陣跡→開戦地→小西行長陣跡→宇喜多秀家陣跡→
大谷吉隆墓→大谷吉隆陣跡→西首塚→藤堂高虎、京極高知陣跡→
福島正則陣跡→小早川秀秋陣跡→脇坂安治陣跡→本多忠勝陣跡



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島津義弘陣跡
「西軍に島津あり」と
敵中突破の退却をしました。
開戦地です。
霧が薄くなった午前8時ごろ
福島正則は井伊隊の旗が動くのを
見て、先陣の手柄を取られては
なるまいと宇喜多に一斉射撃を
浴びせました。
小西行長陣跡
西軍。北天満山に6千余の兵を
率いて参戦しました。
小早川の裏切りに衝撃を受け、
兵が敗退しました。
宇喜多秀家陣跡
西軍の副大将。1万7千の兵。
宮本武蔵もこの辺りで戦いました。
大谷吉隆の墓
西軍。吉隆は光成の挙兵に対し、
再三思い止まるよう説得しましたが、
光成の決意は変わりませんでした。
ここの墓は、敵方藤堂家が
建てたものです。
大谷吉隆陣跡
藤堂高虎、京極高知両隊を
相手に奮戦した。
小早川秀秋の裏切りを予想しており
そのための陣備えをしていた。
中仙道です。
旧街道の面影があります。
西首塚
合戦の戦死者数千人の首を
葬っています。
藤堂高虎、京極高知陣跡
中学校の敷地内にあります。
東軍。大谷吉隆隊と奮戦した。
脇坂、小川、朽木、赤座らの
寝返り工作にも貢献した。
福島正則陣跡
東軍の先鋒。
正則は賤ヶ岳の七本槍の一人。
井伊隊に先を越されましたが、
宇喜多隊と一進一退の
攻防戦を展開しました。
伊吹山です。
あまりにも美しいので
また撮ってしまいました。
松尾山山頂です。
小早川秀秋陣跡
すごく見晴らしがいいです。
ここから、戦況を見ながら
寝返りを計画していたのでしょうか?
合戦陣形図を見ながら、 そのときの様子を思い浮かべます。
合戦陣形図と景色を見比べます。 あそこに○○陣がこちらに△△陣が。。。
脇坂安治陣跡
寝返り軍。
大谷吉継隊を壊滅させた。
安治は賤ヶ岳の七本槍の一人。
本多忠勝陣跡
民家の裏庭にありました。
東軍。
諸大名に書状を送って
東軍につける工作をした。

この後、
関ヶ原駅をゴールにしました。

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